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2008年12月09日

清水と百済再興への犠牲(白村江の戦い)。

白村江の戦いについて・・
実際、日本と百済連合軍の大敗にて歴史の中で、
消失しかけていますが・・・
ふじずらっこは、非常に重要な戦いだったと思います。

★白村江の戦い(はくそんこうのたたかい・はくすきのえのたたかい)★
  唐と新羅の連合軍によって滅亡した百済の再建と筑紫国の
  権益を守るために、筑紫国王は大和国からの援軍も加えて出兵するが、
  663年8月27・28日の白村江(朝鮮南西部の錦江河口付近の古名)での
  海戦で惨敗する。
  敗戦の主原因は大和国の唐・新羅への内応が十分に考えられる。
  (以上参考資料にて・・・ウェブより)
清水と百済再興への犠牲(白村江の戦い)。
理由は・・
☆百済王族や中心者達の亡命移民が日本に大量にやって来た事。
☆当時最高の文化・技術・宗教が流れ込んだこと。
☆防人などの国家防衛政策が勃興して、後のサムライ文化の源流になった事。
  などなど・・・

地元の清水港の案内にても・・
・・〔・・・・7世紀、駿河国の豪族廬原君が斉明天皇の命により水軍を率いて
百済支援のため663年の白村江の戦いに参戦したところに始まる。・・・
出典: 清水港・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より〕
と説明されおります。
現在の熊本県からの大軍と合わせて・・約二万の軍勢だったみたいです。

で・・結果は、唐と新羅連合軍に大敗して、、殆ど犠牲になられた様です。

船で救援に行った事自体が凄い密接な交流が有ったことを実証しています。
清水と百済再興への犠牲(白村江の戦い)。
以下は大阪府枚方
の百済からの渡来と亡命王子について・・・

百済寺跡、百済神社
『百済王(くだらのこにきし)物語』
 660年頃、難波津の港に白村江の戦いに敗れ、
日本に渡って来た百済王一族がいました。一足先に来ていた
百済王の第二王子(禅広)をたよりに亡命して来たのです。
 時は流れ四代目の(敬福きょうふく)の時代に東大寺の大仏に
大量の金が必要となった時、陸奥守だった敬福が900両もの金を贈りました。
その褒美で河内守になった敬福は枚方に難波津の一族を呼び寄せて住まわせ、
壮大な百済寺を建てたのです。
 百済王一族を特に優遇したのは桓武天皇で「百済王等は朕の外戚なり。」
と言って、行幸や遊猟などに何度も枚方を訪れました。
百済寺の中には桓武天皇が祭祀を行った場所もあったそうです。
 住居や倉庫と考えられる堀立柱建物跡や井戸が11棟以上見つかっているので
百済王一族の一大ニュータウンだったのかも。

『百済王氏について』
643年        百済の王子の豊璋と禅広が来日
660年        百済は新羅・唐の連合軍によって滅亡 
664年(天智3)   禅広が朝廷に仕え難波に居所を賜る
693年(持統7)   百済王の姓を賜り多数が五位以上となる
749年(天平21)  敬福が陸奥の黄金900両を大仏建造の為献上
750年(天平勝宝2)敬福が従三位宮内卿兼河内守に昇進
            これを契機に一族は交野郡中宮に移住
790年(延暦9)   桓武天皇が後宮を渡来系氏族にも解放
            「百済王等は朕の外戚なり」と詔を下す
797年(延暦16)  調・庸・雑徭(律令の主要な税負担)を免除
※光仁天皇、桓武天皇、嵯峨天皇、仁明天皇の後宮に百済王氏の女子が
入りましたが、文徳天皇以降は藤原氏の権勢が増大し、
後宮は藤原氏一族が独占するようになりました。また、亡命後2世紀余りで百済王氏は
日本社会に完全に溶け込んだようです。

『百済寺跡について』
文献に初めて名前が見られるのは奈良時代末、長岡京遷都の直前に
桓武天皇が交野に行幸した783年(延暦2)10月16日の条です。
文献の上で最後に登場したのは817年(弘仁8)、ただし平安中期までは存続し、
一夜にして火災により消失したと思われます。
一般的には双塔式伽藍配置と呼ばれ、奈良の薬師寺にも似ていますが、
それより新羅・感恩寺に近いとも言われています。

『百済王神社について』
創立は737年(天平9)となっていますが、発掘調査では
室町以前の遺構は見つかっていません。
現在の本殿は1827年(文政10)に奈良春日大社の古社殿を
移築した物で保存状態が極めて良好です。
以上(小枝の部屋より抜粋させて頂きました。感謝。)

ふじずらっこでした。





Posted by いすころりんこ at 12:05│Comments(0)清水地区と百済系移民
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清水と百済再興への犠牲(白村江の戦い)。
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